目次
1 はじめに
世界が新型コロナウィルスで先の見えない大変な状況になり、社会は停滞してしまっています。しかし、子育ては待ってくれません。この話を聞いて、何か一つでも子育ての役に立てばありがたいです。
私たちは、子供の一つの出来事を見て、その子の人格や性格を決めつけていることはないでしょうか?また、自分の意見が正しいと思い、人に押しつけていることはないでしょうか?
2 目の不自由な6人が触ったゾウの話!
昔、ある所に「6人の目の不自由な人たち」が、生まれて初めてゾウに触れました。
①足に触った目の不自由な人は、
「ゾウとは木のようなものだ。」と言いました。
②しっぽに触った目の不自由な人は、
「違う。ゾウとはロープのようなものだ。」と言いました。
③鼻に触った目の不自由な人は、
「何を言うか。ゾウとはヘビのようなものだ。」と言いました。
④わき腹に触った目の不自由な人は、
「いやいや、ゾウとは壁のようなものさ。」と言いました。
⑤耳に触った目の不自由な人は、
「バカだね。ゾウとは木の葉のようなものだ。」と言いました。
⑥牙に触った目の不自由な人は、
「ゾウとは、ヤリのようなものだ。」と言いました。
6人の目の不自由な人たちは、自分の意見が正しいのだと言い争いをしました。しかし、だれもが意見を変えようとしませんでした。
3 ゾウの全部を触っていない!
問題なのは、目の不自由な人たちは、「ゾウの全部を触っていない」ことです。そのことが原因で一人一人の意見が食い違い、言い争いが起きています。「ゾウの全体を知らないで、一部分のみを触ってそれが全てだ」と思い込んでしまったのです。ここで大切なことは、『自分の意見だけでなく様々な意見を参考にして真実を考えて行く姿勢を持つ』ことです。
一つの方向からでしか物事を見れなくなくなってしまうと物事の本質はつかめない。見る角度によって物事の見方が変わるということを知っていればこのようなことにはならなくてすみますね。
4 物事を多面的に見る
私たちは、ものごとの一面しか見ずにあたかも全て知っているようなつもりになっているようなことはないでしょうか。また、自分の意見を押し通してしまうことはないでしょうか。「全体の意見を良く聞き、様々な考え方を知り、自分の意見を言うことが大切になります。」今、教育界で求められている「主体的・対話的で深い学び」につながるのではないでしょうか。
同じように「木を見て森を見ず」という言葉があります。「細かい部分にこだわり過ぎて、大きく全体や本質をつかまないこと」です。一部や細かいことにとらわれ過ぎて全体に注意を向けず、物事をおろそかにしている状況を表します。
「大人として、親として、子供たち一人一人を多面的に良く見つめ、個性を見つけてやるとともに、人としてのよさを探してやることも大切な仕事になります。」
5 おわりに
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