ダジャレ先生の面白くてためになるブログ

学校での面白くてためになる話を中心に記事にしました。絶対に笑えます。一見の価値あり!面白くなかったらごめんなさい!

思いやりって何?思いやりをもって行動する7つの行為!

 

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実りの秋ですね!体も心も充実させたいですね!

1 はじめに


 今、「教員によるいじめ」が大きな問題になっていますが、多くの教員が一生懸命子供たちのために教育をしていることを忘れないでほしいと思います。
 学校では、子供たちに「知・特・体のバランスの取れた児童」の育成を目指し、学校教育目標の具現化を図っています。その柱の一つに「思いやりのある児童の育成」があります。今日は「思いやり」について記事にしました。

 

2 「思いやりの心」とは


 「思いやりの心」とは、子供たちが日常生活の中で関わる人や物や事象に対して思いをはせ、よりよい状況にするにはどうしたらよいかを考える心の動きと捉えます。それは単に自分を犠牲にして相手の利益を求めようとする心ではなく、自分と相手を含めた全てにとってより良い状況となることを願う心です。

3 思いは見えないけれど


 「思いは見えないけれど」というのは、東日本大震災の時にACジャパンのCMで注目された『「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える。「思い」は見えないけれど「思いやり」はだれにでも見える。』という詩です。その当時とても感動したことを覚えています。
 ご存知の方もいると思いますが、あの詩は埼玉県にゆかりの作詞家、宮澤章二の「行為の意味」という詩の一節です。つまり「こころ」や「思い」というのは、行動がともなって相手に伝わって初めて「こころづかい」であり、「おもいやり」だということです。その当時の校長先生が風邪気味の私に「じゃあこれどうぞ」とショウガ湯を出してくださったことを思い出します。


4 思いやりがどうして大切なのか?

(メリーランド大学のアブドラ・M・アブドルハリム氏より)


 人を思いやる行為は、巡りめぐって必ず自分に帰ってくる。メリーランド大学のアブドラ・M・アブドルハリムは、思いやりがどうして大切なのか、社会に対する思いやりを推進する手助けができるかどうかを調査した。「思いやりには単に善意の行動とか、思慮深く他人に接するということだけでない。」アブドルハリムは言う。「他人に思いやりをもつということは、礼節の一部である。礼節は社会生活の秩序を保つために必要とされる行動・作法、礼儀のことであり、社会の幸福、果ては地球の健全までを考える現実的、積極的な行動なのだ。」と話しています。

 

5 思いやりをもって行動するための7つの習慣法

 

(メリーランド大学のアブドラ・M・アブドルハリム氏より)

 

①相手の気持ちになって考える


 思いやりのある人というのは、相手の立場になって考えることができるし、自分のことよりまず人のことを心配しようとします。他人に手を差し伸べ、相手の手を取って気持ちをくもうとする。こうした無私のやりとりに楽しみや満足を見出すことができるのだ。

 

②笑顔で接する


 笑顔でいるほうが、その人自身の気分は言うまでもなく、他人が見たその人の印象にも重要な影響を与えるというのは本当だ。人は笑うのに42の違う小さな筋肉を使っているという。あえて笑顔を習慣づけることは、いい練習になる。鏡を覗き込んで顔が笑顔かしかめっ面かでは大きく違う。それを心に留めることだ。

 

③相手の様子を気遣う


 他人に共感できる人は、まわりの人の感情を思いやって行動することができる。ただ相手にどうしてる?と訊いてあげるだけで、相手の気分や自尊心に、驚くべき効果をもたらすことができるかもしれない。こうした場合の思いやりのポイントは、相手の答えの内容ではなく、相手を気にかけているというその態度なのだ。

 

④自分のマナーに気を配る


 マナーとは他人の気持ちへの細やかな心遣いのことだ。それさえわきまえていれば、よいマナーを心得ていることになる。箸の持ち方や食べ方など問題ではない。また、「ありがとう、どういたしまして。」という言葉を連発することでもない。

 相手の感情を理解し、それに従って行動する、自分がそう接してもらいたいと思うように人に対して接する、相手の時間を尊重して約束の時間を守る、自分ばかりがしゃべらないで、聞き上手になる、なども含む。相手の話にきちんと耳を傾けなければ、思いやりがあるとはいえない。真摯に相手に向き合って情報を取り込み、それに基づいて理性的に行動する。

 

⑤自分のことを大切にしながら他人のことを優先する


 自分のことを気にかけない人間は、他人のことも気にかけない。無私というのは、思いやりのある人たちにとって諸刃の剣だ。自分より他人の要求を優先すると、満足感はあるかもしれないが、いざというときにノーと言えなくなってしまう。

 思いやりの優先バランスをうまくとらないと、人を喜ばせるだけの人生になってしまい、生産性がなくなってしまう。ときにはノーということも必要だがこれが難しい。まずは重大な場面ではなく、ささやかな場面でノーと言ってみる練習をする。一番いいのは、他人を思いやるときと、自分のことを考えるときのタイミングを見極めることだ。

 

⑥イライラしていても、その感情を表にださない 

     
 誰にだってカチンときたり、イラっとすることはある。ストレスを感じたり、圧倒されたり、せっつかれているときにぐっと我慢するのは難しいが、だからこそ取り組む価値がある。

 自分が最悪なときに、どうして他人に思いやりを示さなくてはならないのか? と思うこともある。確かに誰かに親切にしても、その見返りがあるわけではない。だが、結局はまわり巡って自分に好ましい影響が戻ってくるのだ。あなたが自分でこの好ましい影響を与える側になれば、前向きな方向で他人とよりよい関係をつくろうという動機になる。

 

⑦正当な理由があるときだけ謝る


 相手を怒らせたくないがゆえに、やたらごめんなさいと謝る人がいる。謝られたほうはあまりにごめんなさいを連発されると、その言葉に無感覚になってしまう。

 やたら人を喜ばせようとする人にも同じことが言えるが、謝罪にもバランスが必要だ。あまりにも人を喜ばせたり、謝ってばかりいると、自分自身を傷つけるだけだ。


3 おわりに

 

 学校教育の柱の一つの「思いやりの心」の育成は、いつの時代でも大切なものの一つです、人と人とのかかわりが少なくなってしまった今こそ相手を思いやる心はより大切になってきます。

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追記

 

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