目次
- 1 はじめに
- 2 桃は、中国では、不老長寿の果物!
- 3 桃には、魔よけの力が!
- 4 実は桃から生まれていなかった? (R-18)
- 5 江戸時代から桃から生まれたことに!
- 6 桃太郎のモデルは?
- 7 おわりに 桃を食べて元気に!
1 はじめに
前回の「なぜ桃太郎は、お供にライオンやクマでなく、サル、キジ、イヌを連れて行ったのか?」(心の中に猿鳥犬を連れて課題解決)は、私の自信の記事ですが、今回も桃太郎のお話ですが、子どもたちに読み聞かせをしていると「ももたろうは、何で桃から生まれたのですか?」との質問を受けました。そこでいろいろと調べてみるとこんなことがわかりました。
私の自信作です。レッドスター(レッドロブスターではありません)・グリーンスターも付けていただきました。もう一度読んでみてください。内容をいろいろなところで話しています。
2 桃は、中国では、不老長寿の果物!
実は、桃は古く中国では、単なる果物ではなく病魔や災厄をよせつけない力があり長寿をもたらす『不老長寿の実』として珍重されていたそうです。
3 桃には、魔よけの力が!
桃が、魔よけの力があるという、考えが、日本に伝わって、ひな祭りの時にも、桃の花が使われています。旧暦3月3日と言えば時期も、花盛りだし、その美しさも、女の子と結びついたのだと考えられます。
このように桃太郎の話は、神聖な不老長寿の桃から生まれることで鬼(魔)を退治するために、桃を使った話が生まれたと言われています。
4 実は桃から生まれていなかった? (R-18)
桃太郎のオリジナルの話は、お爺さんとお婆さんさんが桃を自分たちが食べて、若返って毎晩仲良くして、子供が生まれたというものだったが、子供向けにアレンジして今に至っているとのことです。(「桃太郎」の物語のオリジナルが生まれたのは、室町時代後期から戦国期にかけてだと言われいます。)
5 江戸時代から桃から生まれたことに!
桃太郎が桃から生まれたお話は、江戸時代に作られたようです。
むかし、むかしある所に、お爺さんとお婆さんが暮らしていました。お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。
お婆さんが川で洗濯をしていると、上流から、どんぶらこ~、どんぶらこ~、と大きな桃が流れてきました。
お婆さんは桃を持ち帰り、包丁で桃を割りましたが、中には男の子の姿などなく、瑞々しく美味しそうな果肉が詰まっているだけでした。(残念)
すると……。
桃を食べた二人の肌は、まるで熟れた桃の様に潤い、つやつやに。海老の様に曲がってしまっていた腰は、竹を刺したかの様にピンと伸び上がっていました。ボロボロで黄色かった歯は、若者のような白さと歯並びを取り戻し、表情には若かりし頃の色気が甦っていました。
若返った事で、桃の効能か、程無くして二人は元気な男の子を授かりました。
そして二人は「桃太郎」と名付けました。後はほとんど同じです。
(桃から生まれていないですね?)
6 桃太郎のモデルは?
桃太郎は、紀元前3世紀頃に活躍した、第7代天皇・孝霊(こうれいてんのう)の息子、吉備津彦命(きびつひこのみこと)がモデルだと言われています。
岡山県において広く語り継がれている伝説によると、昔、岡山に鬼がいた。温羅(うら)と呼ばれるその鬼は、もとは百済の王子だったという。 巨躯、赤髪の異様な姿で性格はきわめて凶暴。
今の吉備津神社から西北へ10キロほどのところの片岡山に作った「鬼の城」を拠点に、暴虐の限りを尽くして人々を恐怖のどん底に陥れていた。
そのため朝廷から派遣されたのが吉備津彦命である。
現在の吉備津神社付近の「吉備の中山」に陣を張った吉備津彦命は、犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来と共に倒し、その祟りを鎮めるために温羅を吉備津神社の釜の下に封じたとされ、同神社の御釜殿(重要文化財)における鳴釜神事の謂われともなっている。また、家来である犬飼健を犬、楽々森彦を猿、留玉臣を雉と見て、この温羅伝説がお伽話「桃太郎」になったとも言われているそうです。(吉備津神社の話より)
7 おわりに 桃を食べて元気に!
昔話には、様々な教訓が隠されています。それらを知って読み直してみると改めて、「永遠のベストセラー小説」だということがわかります。私もこれから「桃」をたくさん食べて若返ろう。
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